◎導入されたばかりの「妊婦加算」が廃止…困るのは誰?
2018年4月の診療報酬改定で導入されたばかりの「妊婦加算」ですが、「妊婦税だ!」等の批判を受けて同年12月には妊婦加算を廃止、抜本的な見直しをする方向で検討開始されました。
妊娠中の女性が医療機関を外来で受診した際に自己負担が増える「妊婦加算」について、厚生労働省は13日、上乗せ徴収をなくす方向で検討を始めた。制度自体も廃止に向け抜本的に見直す方針。「少子化対策に逆行する」といった批判が相次いだため。
<引用:妊婦加算、廃止検討へ 上乗せ部分ゼロに、厚労省(共同通信)>
妊婦加算が「導入」された時のニュースを見た時に僕も「妊婦さんの自己負担が増える方式は確かに少子化対策の流れに逆行するからちょっとなあ…」と感じたものです。
妊婦加算は今朝のニュースではほぼ全面的に批判されてたけど、本来の趣旨は産婦人科が足りない中で「加算をつけるから産婦人科以外でも妊婦の日常的な病気は診てね」って事だろうから、妊婦にとって受け皿が広がる訳で悪い話じゃないはず。負担増を妊婦が直接担う方式には検討の余地があると思うけど。
— パパ勤務医はぴえすた@退局5年目 (@ishitenshoku777) 2018年11月8日
しかし、この度の妊婦加算「廃止」にまつわるニュースでの取り上げ方を見ていると大事な点が疎かにされていると感じ、注意喚起のため当記事を作成致しました。
その大事な点とは、「妊婦加算はそもそも妊婦さんを助けるための制度」だと言う点です。
記事タイトルにもしたように、妊婦加算が廃止されて困るのは「妊婦さん自身」なのです。
現行制度では「妊婦税」と言いたくなる気持ちもわかりますが、妊婦加算の廃止は妊婦さん自身が単純に喜んで良い話ではありません!
このページでは妊婦加算が廃止されるとなぜ妊婦さんが困るのか、妊婦加算が導入されたそもそもの背景等について現役医師が簡単にまとめていますので、どうぞご覧ください。
◎妊婦加算導入の背景は?廃止されるとどうなる?
ニュースの「妊婦加算が廃止。妊婦税の廃止万歳!」的な論調には辟易。妊婦加算の趣旨自体は妊婦を診る病院の増加=妊婦に有益なんだってば。今や産婦人科は希少で貴重なの。
正すべきは妊婦自身が負担増になる点で、今後そこを誰が負担するか代替案を検討中である事ももっと報じて議論を深めて欲しい。— パパ勤務医はぴえすた@退局5年目 (@ishitenshoku777) 2018年12月14日
「妊婦加算が廃止されると困るのは妊婦さん自身だ」と書きましたが、「加算がなくなれば払うお金が減るのに何が困るの?」と思われるかもしれませんね。
妊婦加算がなくなるとどうなるかを簡単に言うと、「妊婦さんを診察してくれる病院の数が減る」ことになります。
妊婦さんが病気になっても診てくれる病院がなかったら困りますよね?
と言うよりも、妊婦さんを診察してくれる病院が既に少ないのが現状であり、その問題解決のため(=妊婦の診察をしてくれる病院の数を増やすため)妊婦加算は導入されたはずだったのです。
◎日本における妊婦の診療事情
妊婦加算について考える際に、まずは以下のような現状があることは認識すべきでしょう。
医師は妊婦の診察を敬遠する傾向(*敬遠する理由は後述)があり、妊婦の診察が産婦人科に集中している
妊婦以外の患者さんだけでも非常に多く、産婦人科以外の病院の経営はわざわざ妊婦を診なくても成り立つ
産婦人科医師はなり手が少なく、全国的に不足している
このあたりについてもう少し詳しく書いていきます。
◎医師が妊婦の診察を敬遠する理由
産婦人科以外の科の医師が妊婦の診察に消極的な理由は、誤解を恐れず言えば「苦労の割に合わないから」だと思います。
と言うのも、まず妊婦の診察の際には母体だけでなく胎児への配慮が欠かせません。
母体と胎児への影響を考慮しながら慎重に検査や投薬等を行う必要があるため通常の診察より時間も労力もかかり、大変なのです。
さらに、産婦人科の診療は「訴訟リスクが高い」ことは医師の間では常識です。
産婦人科医が訴えられる件数は他の診療科の医師の平均より数倍高く、2006年に産婦人科医が逮捕までされた(後の裁判で無罪は確定した)「大野病院事件」は有名です。
また、大野病院事件以外でも、専門外の患者を適切に然るべき病院に転送しなければ「転医義務違反」と裁判で判断されることもあります。
こうした訴訟リスクの背景から「そもそも(妊婦に限らず)専門外の患者を診るのは危険」という意識の医師は少なくないでしょう。
このように、専門外の医師が妊婦を診察する際には診察時の特別な配慮やその後の訴訟のリスクがつきまとうのです。
それにもかかわらず、妊婦加算がなければ一般の患者と同じ診療報酬しか得られません。
要するに、妊婦の診察は専門外の医師にとって「ハイリスク・ローリターン」なのです。
また、患者さんは妊婦以外にも数多くおり(どこの病院も混雑してますよね)、あえてハイリスクな妊婦の診察に手を出す経営上のメリットは乏しいと言えます。
よって、専門外の医師しかいない病院に(妊娠と関係ない病気で)妊婦が受診した場合には「妊婦さんですか。産婦人科で診てもらった方が良いのでは?」と言われてしまうのが現状なのです。
◎少ない産婦人科医だけでは妊婦の全ての疾患に対応するのは困難
「専門外の患者を敬遠する」医師が多ければ妊婦の診療は「専門」である産婦人科医に回ってきます。
しかし、前述した産婦人科医の訴訟リスクの高さ等からなり手は不足しており、産婦人科医だけでは妊婦さんの診療をこなしきれません。
「専門の医師」も「専門外の医師」も妊婦の診察ができなければ、妊婦はたらい回しの状態になって困りますよね。
こうした事態の解決のために導入されたのが「妊婦加算」でした。
妊婦の診察に通常よりも多くの加算がつけば病院は利益が増えるので、「それなら妊婦の診療もしますよ」という病院は増える方向に行くことが予想されます。
「妊婦加算程度のお金の為にリスクは取りたくない」と考える病院もあるでしょうが、少なくとも現状より減る方向には行かないでしょう。
◎「医師は金儲けばかり考えているのか?」という批判について
「妊婦加算」というお金がもらえれば妊婦の診察をする(かもしれない)ということに対しては「医師は金儲けができれば良いのか」という批判もあるかもしれません。
この辺りは難しいのですが、「医師はお金儲けができれば良いのか?それだけが目的か?」と問われれば「No」です。
しかし、「お金を度外視して診療できるか?」と問われればこちらも「No」でしょう(特に開業医の場合)。
勤務医の場合は患者さんを多く診たからといって給料が上がるわけではないのが普通ですが、開業医は事情が違いますからね。
◎勤務医と開業医の違い
「勤務医」とは大学病院等に勤務している医師のことで、病院に雇われて給料をもらっているという意味では「サラリーマン」に近いです。
(勤務医の仕事は基本的に「診療」のみ)
一方、「開業医」は一国一城の主であり、どちらかと言うと「社長」に近いイメージです。
(開業医の仕事は「診療」+「経営」)
勤務医は勤務先の病院が仮に潰れても他の病院で働けば良いのである意味気楽ですが、給料は開業医よりも低いです。
開業医は勤務医より平均年収は高いですが、病院が潰れるリスクを抱えています。
開業の際には設備投資等に数億円単位のお金を借金してスタートすることも稀ではなく、従業員の生活もかかっているので経営面の考え方はシビアになりがちです。
(*CTやMRI等の医療機器は非常に高額で、1台で数千万~数億円したりします)
◎妊婦加算がつくとどうなる?
妊婦加算がつこうがつくまいが勤務医は給料が特に変わるわけではなく、勤務医自身の関心は薄いでしょう。
しかし、勤務先の病院経営者が「妊婦加算がつくようになったから、妊婦も積極的に診療するように」という方針になれば妊婦の受診も増えるでしょうし、その際は診察せざるを得ません。
要するに、勤務医自身にあまり選択権はなく、経営者の考え方に大きく左右されるのです。
その一方で、開業医の場合は自身が経営者も兼ねているので、妊婦診察に対する方針は自由に決められます。
「妊婦加算による収益増等のメリット>訴訟リスク等のデメリット」と判断すれば妊婦を診察するでしょう。
逆に、「妊婦加算による収益増等のメリット<訴訟リスク等のデメリット」と判断すれば妊婦の診察を敬遠するでしょう。
妊婦診察に伴うリスクは以前と変わらないので、妊婦加算でどの程度収益増が期待できるかによって、妊婦の診察を積極的に行う病院が増えるかどうかは決まってくるでしょう。
◎医師の立場からの自己弁護
患者さんの立場からは「リスクがあろうが加算がつくまいが医師なら妊婦も診察しろ」という声もあるかと思います。
ただ、前述したように医師の立場もなかなか辛いものであることは理解していただきたいところです。
もしあなたが現在の状況で産婦人科以外の医師の立場だったらどんな対応ができると思いますか?
専門外の患者を診て問題が起これば「適切なタイミングで専門医に紹介するべきだった」と後出しじゃんけんで裁判所に判断される中で専門外の患者を積極的に診察しようとしますか?
最悪の場合は逮捕もあり得るような産科診療に特に金銭的なメリット等もなく、自ら首を突っ込みたがりますか?
逮捕されても裁判で無罪になればそれで良いというわけではありません。逮捕や裁判等で確実に時間や気力・体力は奪われ、それは他の患者さんの診療にも大きく影響します。
「訴えられようが逮捕されようが医師は患者を診察すべき」と言う声が大多数であればこの国から医師はいなくなるでしょう。
医師の多くは「患者さんを救いたい」との思いや使命感から過労死ぎりぎりの長時間労働にも耐えており、現在の医療水準を保つのに寄与しています。
ただ、医師にも人生や生活があるのですから、使命感だけでは渡れない危ない橋もあるということを自己弁護的ではありますが、述べておきたいと思います。
◎補足:なぜ妊婦だけ加算?他にも高齢者加算等は必要ないの?
妊婦加算に関するニュースの反応等を見ると「なんで妊婦だけ特別扱いで加算するの?」「高齢者やアレルギーの方等、配慮は必要ないの?」というようなコメントも見られました。
これに関しては推測ですが、「特別な配慮が必要な患者には全て加算しよう」ではなく、妊婦加算導入の狙いに少子化対策の側面もあったからではないかと思います。
前述したように、「妊婦を診察してくれる病院を増やし、妊婦が困らないようにしよう」という狙いですね。
つまり、「特別な配慮を要する患者だから」との理由だけで妊婦加算が導入されたのではなく、「(少子化対策で重要な)妊婦を診る病院が少ない現状打破のため」導入されたという感じです。
特別な配慮が必要という意味では高齢者等も勿論そうですが、少子化対策という観点からは必要性は乏しいと判断されたのではないかと思います。
また、「妊婦加算を取られたけど、特別な指導や診察はされなかった」というようなコメントも見られました。
これに関しては、「専門外の患者は敬遠する」のが普通の対応となっている中で、「専門外であっても妊婦の診察に応じた」事自体が「特別な対応」にあたるという考え方もできます。
患者さんからすると納得し難いかもしれませんが、それだけ現状では医師にとって専門外の患者(特に妊婦)を診察するというのはリスクの大きい行為であることをご理解ください。
◎おわりに
「妊婦加算の廃止で困るのは妊婦さん自身である理由」について書いてみました。
厚労省は「妊婦の自己負担増となる形」での妊婦加算は廃止を検討していますが、「妊婦の自己負担増とならない形」での代替案も検討中のようです。
妊婦加算がつくことで妊婦の診察に応じる病院が増える方向になる事は妊婦にとって良い事であるはずなので、残る課題は「加算分を誰が負担するか」ということです。
日本は少子高齢化の解決が喫緊の課題ですから、加算分は妊婦自身ではなく全世代で広く負担していく形が最善ではないかと個人的には思います。
実際どのような形に落ち着くかは今後の議論次第ですが、日本が今より少しでも子育てのしやすい国となるような方式となることを願っております。